
こんにちは、kagosangoです。今回は、スピリチュアルなのか!?私の父が死にかけてから見事に復活を果たしたお話しを綴りたいと思います。
結果的に今は元気な父の話しですので、楽しみながら読んでいただければと思います。
私のお父さん

私の父は福岡に住んでいます。私と長男は実家を出て、結婚し、他県で暮らしています。実家には母と父がおり、同じ福岡に住んでいる次男が、たまに実家に帰るという生活を送っています。
家族仲はとても良く、離れて暮らしていますが、家族のグループLINEがあります。毎日のように、みんなコメントします。ちょっとしたことでも、お互いの近況を報告しあったりします。
家族LINEに、基本的に父はコメントをしません。やり方がわかっていないのかもしれませんが、他の家族メンバーのコメントを見ることで参加してくれているようです。
そんな父は、フォトグラファーです。働いていた会社の前社長が亡くなり、そのまま従業員として働いていた父が会社を引き継ぎ、経営してきました。小さい会社ではありますが、商業写真を中心に、今まで写真一筋で40年以上働いています。
父を一言で言えば、「無頓着」でしょうか。写真に関してはこだわりがあり、芸術家の一面もあるのですが、他のことに関しては、ほとんど気にしていないと感じます。私たち子供のことに関しても、口を出したり干渉してくることはほとんどありませんでした。思っていることはいろいろあるのかもしれませんが、口下手なところがあります。
かといって無関心で愛情がないというわけではありません。どこかでは、ちゃんと見守ってくれているのだなと子供の頃から感じていました。
とはいえ、基本的には写真のこと以外、こだわりもありません。仕事が趣味のようなこともあり、家にいる時には何をするでもなく、テレビを観てゴロゴロしていることが多かったです。健康に対しても特に何か気をつけることはなく、食べたいものを食べ、飲みたいものを飲む父です。甘いお菓子や、味の濃い食べ物が好きで、お酒も好きです。
父は基本的に健康でした。インフルエンザになったこともなく、風邪を引くこともほぼなかったため、今まで病院にかかるのは、たまに行く歯医者くらいでした。
しかし、65歳くらいになると、会社の定期健康診断で高血圧が発覚、更に糖尿病の診断が下りました。糖尿病は、インシュリンを打つまでは行かないものの、薬を飲まないといけない状態でした。なので、高血圧の薬と糖尿病の薬を飲んでいました。
父以外の家族は運動や健康に意識が向いているので、父にはみんなで口うるさく言っていました。「お父さん、本当にこのまま何もせんかったらただ動けんくなって死んでいくとよ?」「少しは運動せんと、足腰が弱くなってから、動く意欲もなくなるっちゃけんね」と。
父は、少し気にしたりして、たまにジムに行ったりしていました。しかし、甘いお菓子やジュースを飲み食いしているところを家族に見つかり注意されるのでした。
要再検査
ある年、父はまた会社の定期健康診断に行きました。父は、その健康診断で要再検査となったのです。私たち家族は、”糖尿病か高血圧が悪化したのかもね?”と思っていました。しかし、腎臓の再検査らしいということで、家族みんな、どこかで”言わんこっちゃない”と思っていました。
そして、翌週の金曜日に再検査で病院に行くことになりました。
しかし、その前日の木曜日、父は昼くらいに嘔吐。仕事が終わり、具合が悪いと言って家に帰ってきたそうです。母と次男は二人で、「今まで検査とか受けたこともないし、病院慣れしてないけん不安で気分的に落ち込んどるんかもね」「メンタルが弱いんかね」と言っていたそうです。

そして金曜日、父は要再検査のためにの病院に行きました。その日も、「なんか具合が良くない」と言っていました。病院では、検査と問診を受けて、結果を更に翌週の火曜日に聞きに行くことになりました。
検査も一旦終わり、気持ちもスッキリはしたのか、土曜日、日曜日、月曜日といつも通りに過ごしました。日曜日にはジムにも行って汗を流したそうです。
そして、火曜日に検査結果が出ました。腎臓にはやはり腫瘍ができていました。良性か悪性かは不明なものの、4センチと大きなことから、手術で取ることになりました。今はロボット手術で身体に開ける穴は小さく、手術ができるようです。しかし、父が再検査で訪れた病院ではできないので、別の病院を紹介してもらいました。
そして、翌日の水曜日、紹介された病院に行くか、朝から父は悩んでいました。ロボット手術といえども、人生初の手術。日にちを決めないといけないこともあり、足が重くなっていたようです。しかし、母に背中を押され、「とりあえず、受付と問診だけでも受けてくるよ」と昼前に家を出たのでした。
それからしばらく家に帰って来られなくなることも知らずに・・・。
いきなり!?

その数時間後、家族LINEが慌ただしくなりました。「よくわからんけど、お父さんが救急車で運ばれているらしいっちゃんね」と。家族みんな「え??」という感じでした。
父から母に電話があったようで、「今、大きな病院に救急車で運ばれている」と言われたそうです。そして、詳しくはお医者さんから連絡があるということでした。お医者さんからの電話で母は、「できる限り、すぐに病院に来てほしい」と言われたようです。慌ててわけもわからず、母は父が運ばれた病院へ。病院について初めて、父の身に何があったのかを知ることになったのです。
まさかの診断

父はその日、手術日を決めるために、紹介された病院を訪れていました。その日のうちに、ロボット手術に向けての検査が行われたようです。その途中で検査をしてくれていたお医者さんが慌て出したのです。
「お父さん(名前)救急車を手配するので、それに乗っていますぐに指定する大きな総合病院に行ってください」と。
実は、その時父は心筋梗塞を起こしていたのでした。心筋梗塞を起こすと、通常、痛くてたまりません。心筋梗塞を起こした方に話を聞いたことがありますが、痛くて立ってられないし、胸が張り裂けそうで、喋ったりする余裕なんてないそうです。
そして、前の週、検査前日の木曜日に「具合が悪い」と言っていたのは、心労からの具合の悪さではなく、心筋梗塞からのものだったのです。母たちも、”ちょっと具合が悪い”くらいの父の態度に、まさか心筋梗塞を起こしているとは夢にも思わなかったようです。
父は、もともとが痛みに強かったこともあるようですが、気づかなかったのは、糖尿病だったことも原因でした。糖尿病になると、痛みに鈍感になってしまうのだそうです。ほぼ一週間、心筋梗塞に気づかずに過ごしていたのでした。

通常なら、即、救急車を呼ぶものなのに、父は一週間も「なんか具合が悪い」で過ごしていたのです。ある意味、知らぬが仏状態です。再検査に病院を訪れた際にも、具合が悪かったはずなのですが、そこは口下手な父。自分の体調が悪いことを病院側に話すことなく家に帰って来ていたのです。
今回、手術前の全身検査をした際、心臓の動きがおかしいことがわかり、心筋梗塞を発見したお医者さんが、循環器に特化した手術ができる総合病院に搬送させたのでした。
腎臓の腫瘍どころではなくなってしまった父。緊急手術となりました。母が到着した時には、手術着に着替え、点滴がされ、準備がされているところだったようです。母は気持ちの整理もつかないまま、”死ぬかもしれない”という手術のいろいろな同意書にサインするしかありませんでした。
父本人は、「大丈夫、大丈夫、まだ死なない」と笑顔だったそうです。心配をかけまいとしていたのかもしれません。そして、ストレッチャーに乗せられ、「いってきます」と言って手術室に入って行ったそう。
母曰く、いつもと変わらない父に見えたそうです。
大手術

そこからは長い手術でした。その時の父の心臓は、時間が経っていることもあり、3分の2が壊死してしまっていたのです。その時点でもよく生きていたなと感心しました。
夜8時ごろから手術が始まりました。医療ドラマのように、心配蘇生装置を用い、心臓を止めた状態で行う大手術です。足や肩から血管をとり、心臓に移植して、壊死していない部分の3分の1で、ちゃんと循環できるようにするというものでした。
その間、死ぬかもしれない手術のために、母は医師から病院にいてくださいと言われ、ずっと待っていたそうです。途中で来た次男は、実家で飼っている犬の世話もあるので、実家に戻りました。私と長男は、LINEで近況報告を受けながら、無事を祈ることしかできませんでした。
そして、朝の6時半過ぎ、手術は終わりました。お医者さんは、「手術は成功しました」と母に言ったようです。そして、手術室から出てくる父を、母と父の兄が迎えました。
身体は土色で全く動くそぶりは見せない、死体のような父と対面したそうです。「成功はしたのですが、このまま意識も戻らず、自発呼吸もできないかもしれません、本人の生命力次第です」と言われたそうです。そして、そのまま集中治療室に入りました。
お父さんは何処へ

母は、手術室から出てきた父を見て、”中身(魂)がいないみたいなんだけど・・・”と思ったようです。
いきなりですが、母も含めて、私の家族はスピリチュアルなことを信じている方です。長男はよく小さい頃に霊を見ていましたし、不思議な体験を家族みんな多少なりともしているからです。なので、母からの連絡で、「お父さん、身体にいなさそう」と言われたのを覚えています。
そして、実は一足先に実家に帰っていた次男も気になることを体験していました。
実家の玄関には、鈴が付けられていて、ドアが開くと鈴が鳴るようになっています。そして、実家で飼っているチワワ2匹は、その鈴がなると番犬の役割を果たそうと、玄関まで吠えながら走ってお出迎えに行きます。
そして、父の手術が行われている夜、何度もその鈴が鳴ったのです。その度に、2匹は走って玄関まで行くそうなのですが、玄関は閉まっていて、誰かが出入りしているわけではなかったのです。
窓が開いているわけでもなく、玄関の鈴も重量感のあるものです。玄関も鉄の扉で重い作りなので、ちょっとしたことでは鳴らないのです。
次男は、”お父さん、帰ってきてるのかもしれない・・・。”と思ったそうです。
そして、案の定なかなか父は目を覚ましませんでした。手術が朝早く終わったこともあり、その日のうちに目が覚めるのではないかという期待も虚しく、目覚めませんでした。
そして、母は「お父さん、どこに行ったんやろう」と言って、本人の身体の側で話しかけたりしていたそうです。家族ラインでも、”お父さん、どっか行ってしまってるかも”と話していました。
父がきた

そして、父の意識が戻らずに迎えた翌日のお昼前。私は東京の自宅で、一番下の子と一緒にリビングでくつろいでいました。ちょっとグズっていた子供を抱きながらあやしていた時です。
それは本当に突然でした。リビングの電気がいきなり消えました。私が「えっ?」と思った瞬間、アンパンマンの喋るパソコンの音楽がいきなり鳴り出しました。そして、私たちしかいない部屋の中に人の気配がしたのです。
”お父さん!!”瞬時に私はそう感じました。もともと私は、霊が見えるというよりは、ただ、いるなと感じるタイプです。うまく表現できませんが、確かにお父さんが来ているという確信がありました。
私は”今伝えないと!!”と感じたので、お父さんに話しかけました。
「お父さん、なんでここに来たの?お別れでも言いに来たの?身体の手術は成功しているよ?あとはお父さんが身体に戻ったらいいと思うんだけど、お父さんはどうしたいの?お父さんの選択次第だから、あとはお父さんが決めてね。でも、みんなお父さんの目が覚めるのを待ってるよ。今度はちゃんと身体を持って会いにきてほしいな」という感じで、しばらく一方的に語りかけました。
その後、2分くらい語りかけた後、気配がふっとなくなるのを感じました。同時に、アンパンマンのパソコンが、”バイバイ”と言いました。そしてリビングの電気がついたのでした。
特に周りの家で停電等なく、私の家もブレーカーが落ちていたわけではありませんでした。最後のアンパンマンの”バイバイ”が気にはなったのですが、きっと戻ってきてくれるはずだと信じました。
その数時間後、夕方近くになってから、お父さんの自発呼吸と意識が戻りました。「本当に良かったね」と家族ラインでも連絡し合いました。そして、お父さんがうちに来たこともみんなに伝えると、”どうしたらいいかわかんなくなっちゃって来たのかもね”という結論に至りました。
その後の父

その後、父は更に3回ほど死にかけました。容態が急変して、心臓が止まり、蘇生してもらうということを繰り返しました。母はその度に急いで病院に駆けつけるのですが、病院まで1時間弱かかるので、病院に着いた頃には「一命は取り留めました」という状態だったようです。母は、「死ぬ死ぬ詐欺やん」と冗談で言っていましたが、本当にそのくらい父は生と死の狭間のような状態をしばらく過ごしました。
父が死にかけたのは、心臓痙攣といって、心臓がいきなり痙攣する症状だったのですが、大体は、手術が終わってからすぐに起こるそうです。しかし、父の場合は、手術からしばらく経って起こったものだったので、お医者さんから、「心臓にばい菌が入ってしまっているかもしれません」と言われたそうです。
そして、母はその対策としての治療の相談も受けたようです。その内容とは、再度開胸して心臓の周りをスポンジで覆い、一週間、水で心臓を洗い続けるというものでした。その間の父は、半麻酔のような状態で、意識が戻ったりなくなったりの状態だということでした。
その時の父はすでに食事も少しとれるくらいまで回復していました。しかし、また別の治療をするため、食事が取れなくなってしまったのです。しかし、心臓を洗い続ける治療は、母が断固拒否したそうです。自分が父の立場だったら、自分の心臓を自分で見れるような状態は気が狂うだろうなと思ったそうです。
その後、父は心臓を洗う代わりに強い抗生剤を身体に入れる治療となりました。そして、自発呼吸の呼吸が浅いのも、心臓痙攣の理由かもしれないということで、また管を肺の近くまで入れ、呼吸器を付けられました。その時も半麻酔状態だったようですが、身体に管を通され、目は虚になり、口からはずっと血が垂れていてとても辛い状態になりました。そんな一進一退の治療が続けられました。
しかし、過酷な状態でも集中治療室でなんとか耐えた父。普通の病棟でしばらく過ごした後に退院できました。心臓痙攣がいつまた起こるかも不明だったことから、AED(自動体外式除細動器)のベストを3ヶ月つけることにはなりましたが、ペースメーカーなどを埋め込むことなく回復していきました。
その後、やっと腎臓の手術ができる状態まで回復しました。しかし、ロボット手術をするには身体を二酸化炭素でいっぱいにする必要があり、父の心臓では耐えられないという結論に。結局、元々の目的であったロボット手術を受けることは叶いませんでした。なので、その後、通常の手術で腎臓の腫瘍を取り除きました。心臓の手術も含めて上から下まで見事に縦に身体を切る羽目になりました。
腎臓の腫瘍は悪性でした。結果としてがんだったのですが、転移がなかったことが不幸中の幸いです。
父の感想

その後父に、意識が戻る前に私の家に来たことを覚えているか聞いてみました。答えは、”覚えていない”だったのですが、”でも、なんかいろんなところに行ったような気がする”そうです。
そして、何度も死にかけた父が覚えているのは、「死神」ということでした。父が集中治療室で寝ている時に、他に何人も患者さんが運ばれてきたそうです。その時にいた患者さんたちは、父以外みんな亡くなってしまったらしいのですが、その時に、黒い服を着た死神が、亡くなった人のそばに立って連れて行くのを見ていたそうです。
そして、死神が自分のところにも来ようとした時に、”こっちにくるな!!”と思って逃げようとしたそう。しかし、体が全く動かず、口で息をフーフーかけて、気持ちで”あっち行けー”と言っていたそうです。そうすると、スッといなくなったらしいです。父の生きようとする意思から、今は寿命じゃないと理解してもらえたのかもしれません。
手術後、父は”もう二度とあんな経験はしたくない”と言って、以前よりも少し身体のことを気遣うようになりました。塩辛いものも控え、大好きだった甘いものも少々減らしています。運動はまだ好きではありませんが、月に一度はヨガをして、庭仕事などで動いているようです。
2年ほど経ち、今では、3分の2が壊死し術後32%しか稼働していなかった心臓も、48%動いてくれているようです。壊死してしまった心筋は硬くなってしまうのですが、心臓は、動かなくなってしまった部分を別で補いながら働いてくれているようです。身体の細胞の凄さには本当に驚かされます。
父の体力は加齢とともに衰えてきてはいますが、まだまだ元気です。しかし、最近は脱肛してしまい、痔の手術を受けました。家族からは、「手術が好きだね」と言われています。もう少し、身体のことを考えてくれるといいなと私自身も感じます。
まとめ

今回は父の死にかけた話しをさせていただきました。この話を綴りながら、健康とはやはり当たり前ではないなと感じました。そして、今ある健康に本当に感謝しようと思います。
父以外にも、健康ではなくなってから身体の大切さやありがたさに気づく方が多いように思います。そうなる前に、もっと身体に意識を向けることをしていけたらいいですね。
この記事を読んでくださったみなさんの健康を心よりお祈りしております。読んでいただいてありがとうございました。
合わせて、健康を維持することに関しての記事もありますので、興味のある方はぜひ覗いてみてくださいね。
https://kagosango.com/truehealth/

