【実話】怨念なのか、偶然なのか、結果として途絶えることになってしまった叔父の家の話

こんにちは、kogosangoです。今回は、怨念なのか偶然なのか、結果として途絶えることになってしまった叔父の家の話をしたいと思います。


実際、怨念のようなことはあるのかと聞かれれば、私は「ありますね」と答えます。それは、生きている人の怨念でも、亡くなったスピリットの怨念でも一緒です。念を飛ばす人が、身体を持っているかいないかだけの話です。

しかし、今回のお話は、後者のスピリットの怨念なのかもしれないというお話です。この記事の内容が、怨念なのかただの偶然なのかは、皆さんのご想像にお任せいたします。それでは、その内容を綴っていこうかと思います。

従兄弟

私の兄弟は私と弟2人です。年子なので、兄弟というよりは、友達のような関係です。弟も私を「お姉ちゃん」とは言いません。みんな名前で呼び合う仲です。

そんな私達兄弟の従兄弟は、母が一人っ子ということもあり、父方の兄弟にしかいませんでした。父には、姉と兄がいます。叔母は父よりも10歳上なのもあり、子どもが私たち兄弟よりも20歳ほど上です。なので、叔母の子どもたちは、私たちにとっては年上すぎて従兄弟といえど、一緒に遊べるような関係ではありませんでした。

なので、唯一、一緒に遊んでいた従兄弟が、叔父の一人息子のたつにい(仮名)でした。叔父は父の5歳年上でした。たつにいは私たち兄弟よりも7歳ほど年上でした。なので、私たちと一緒に遊ぶというよりは、一緒に遊んでくれるお兄ちゃん的存在でした。

遊ぶと言っても、何もない田舎です。テレビは大人が見ていたし、まだゲーム機もそんなに普及していない時代でした。叔父の家は、仕事の傍ら米農家もしていて、家の前には田んぼがあり、家の裏や横には納屋がありました。なので、私たち兄弟はいつもたつにいと一緒に家の周りを探検していました。水路や、田んぼや畑、近くにある小学校のグラウンドがお決まりの遊び場でした。

私は長女で、お兄ちゃんやお姉ちゃんが欲しかったこともあり、たつにいのことが大好きでした。もちろん弟達もとても懐いていました。

たつにい自身も一人っ子ということもあってか、私たちを弟や妹のように可愛がってくれました。とっても優しくて頼りになるお兄ちゃんでした。

小さい頃からよく一緒に遊びんでいました。叔父の家に、お盆や正月に集まることになっていたこともありましたし、とても仲が良かったので、キャンプに行ったりもしていました。

その後、たつにいが中学生、高校生となってくると忙しくなり、以前のようにずっと一緒に遊んでくれることは減りましたが、それでも私たちのことを可愛がってくれていました。

突然の死

それから月日はたち、私が中学生になったある日。私は実家で晩御飯を食べた後に、弟二人と一緒にリビングの隣にあるおじいちゃんの部屋でテレビを見ていました。そんな時に家の電話が鳴りました。(まだ携帯電話が普及していないときです)お父さんが電話に出て何か話しているのが聞こえました。

そして、いきなりおじいちゃんの部屋のドアを開け、私たち兄弟に「たつにいが死んだぞ!」と言ったのです。

正直、「???!!」と何も考えられないほど頭が真っ白になり、兄弟で顔を見合わせたのを覚えています。つい先日、会ったばかりでした。その頃たつにいは大学生になっていました。少しやんちゃな感じになり、タバコもたくさん吸っていました。

X JAPANのhideのことが大好きで、自身は金髪でしたが、hideのような髪型にしていました。見た目は少し近づきにくい雰囲気でしたが、相変わらず私達には優しいお兄ちゃんでした。

そのお兄ちゃんが突然亡くなったのです。その一週間前に叔父の家で会ったばかりでした。

たつにいは大学生ということもあり、以前よりももっと忙しくしていました。

私たちが叔父の家に行ったその日も、友達と遊びに行っている途中で、私たち兄弟に会いに、少しだけ帰ってきてくれたのでした。私は具合が悪かったこともあり、勝手にたつにいのベッドに潜りこみ寝ていました。

ふと気づくとたつにいが部屋にいました。「あっごめーん」と言って起きようとした私に、「いいよ、寝てな」と一言だけ言ってそのまま出かけて行ったのでした。

それがたつにいとの最後の会話になりました。時期はちょうどお盆過ぎでした。

たつにいは亡くなった日、友達から一緒に川に行こうと誘われていたのでした。たつにいは、あまり乗り気になれなかったようで何度か断ったようです。

しかし、その仲間内で車を出すことができたのがたつにいだけでした。なので、友人達にせがまれ、優しかったたつにいは、友人たちと一緒に川に行ったのです。

そして、川についたたつにいは、友人たちと一緒に行った先でテンションも上がっていたのでしょう。川に着くと、いきなり飛び込んだのだそうです。

そしてそのまま上がってきませんでした。友人達は、待っても待っても浮かんでこないたつにいを必死で探したそうです。すると川底で沈んでしまっているたつにいを発見。急いで引き上げて心配蘇生も試みたようですが、そのまま病院に搬送され、死亡が確認されたのでした。

本当にあっけなく逝ってしまったのです。

元々心臓が強くなかったたつにいは、川に飛び込んだ時の衝撃か、源流に近い川の水の冷たさによってなのか、心筋梗塞で亡くなっていました。水も飲んでおらず、溺れる間もなかったようです。

お通夜とお葬式

たつにいのお通夜には、多くの友人達が来ていました。本当にみんなに愛されていたんだなと思いました。田舎だということもあり、叔父の家でそのまま通夜とお葬式が執り行われました。

棺の中に横たわっているたつにいは、ただ寝ているだけのようでした。私はその時に、たつにいがいなくなった実感を全く持つことができぬまま、ただ目の前のことを淡々と眺めていたのを覚えています。

その日の夜、叔父の家には、私たち家族と、叔母夫婦、叔父夫婦だけが残りました。家にそのまま棺も置いてありますし、棺の前に座って変わるがわる線香番をしていました。線香を絶やすことのないように誰かが棺の前にいる状態が続きました。私も夜中近くに一人で線香番をしていました。

ぼーっと線香越しに、たつにいの入った棺を眺めていました。

その時です。いきなり棺がガタガタガタガタと激しめに揺れたのです。一瞬地震かと思ったのですが、明らかに棺だけが揺れていました。

それを見てびっくりした私は、母のいる隣の部屋に慌てて走り込みました。怖いのもありましたが、本当にびっくりしたのです。

母に今起きた出来事を伝えると、「たつにいも、どうにか体に戻れんかと試してみたりしとるっちゃろうね」と言われました。そして私は、”本当にいきなり死んでしまったから、たつにい自身もまだ気持ちが追いついてないんだな”と感じたのを覚えています。

その後は、何事もなかったかのように棺は静まり返り、朝を迎えました。そして、お葬式も滞りなく執り行われました。お葬式にも多くの方が参列されていました。たくさんの人が涙を流していましたが、私自身は、全く涙が出なかったのを覚えています。たつにいがいなくなったことに実感が沸かないままだったからです。

お葬式の後に火葬場で最後のお別れをしました。たつにいの大好きだったhideのポスターも一緒に棺に入れました。この時は、hideさんが亡くなった3ヶ月後くらいでした。なので、きっと向こうで大好きだったhideさんとも会えているのだろうと思いながら、見送りました。

その後、たつにいのお父さんお母さんである叔父さん夫婦は、すっかり意気消沈してしまいました。ずっと泣いている毎日で、叔父さんは働いている意味がないと、長年勤めていた会社を退職しました。まだ傷が癒えないそんな時に、叔母さん(たつにいのお母さん)が教えてくれたことがあります。

たつにいが亡くなる一週間前、朝起きてきたたつにいが、叔母さん(たつにいのお母さん)に、「俺が死んだ夢を見た。俺の葬式にみんなきとるっちゃんね」と言ったそうです。叔母さんは、「縁起でもないこと言わんとよ」と笑って返したそうですが、「まさか本当に死ぬとは思わんかった。自分ではどこかで分かっとったのかもしれんね。」と涙ながらに話していました。

当時の私はただ不思議な話だなと思って聞いていました。

でも今になって振り返ると、たつにいは自分の人生の終わりをどこかで感じ取っていたのかもしれないと思うのです。

私は、夢というのは時々とても大切なメッセージを運んでくるものだと感じています。

スピリチュアルな考え方では、夢を通して大切なメッセージを受け取ることがあると言われています。

自分が死ぬ夢も、人生の大きな転機を表す場合もあれば、本当に予知夢のようになることもあります。

今となってはわかりませんが、たつにいが見た夢は後者だったのかもしれません。

もちろん全ての夢に意味があるとは思いません。

それでも、たつにいが見た夢は、ただの夢ではなかったのかもしれません。

そして、この話を聞くたびに私が思い出すことがあります。

それは、たつにいが育った叔父の家のことです。

私は子どもの頃から何度もあの家へ遊びに行っていましたが、なぜか独特の空気を感じていました。

当時は言葉にできませんでしたし、ただの気のせいだと思っていたのですが、今振り返ると、その違和感にも何か理由があったのかもしれないと思うのです。

では、なぜ私が今回の出来事に怨念のようなものを感じているのか。

そこに続く、叔父の家についてお話ししたいと思います。

叔父の家

今建っている叔父の家は、父の祖父の代に建てたようですが、、しっかりとわかる人たちはもういらっしゃらないので不明です。しかし、今現存の家の状態を見ても、築90年ほど経っていることはわかります。そこに手を加えて増築、リフォームをしていったような状態です。

私たち兄弟とたつにいは、いつも叔父の家の周りで遊んでいたのですが、あまり私たちが行かない場所がありました。それは、家の裏にある蔵。その当時でさえ、全く使われておらずに、朽ち果てたようになっていて、更にその裏に竹林がありました。

正直私は、叔父の家が苦手でした。(今もですが)なぜなら、その当時で築70年ほど経っており、土間のある昔ながらの作りで、今では珍しいぼっとん便所のある家だったからです。

夜にトイレに行くのは恐怖で、薄暗い裸電球のある廊下の先になかなか進むことができませんでした。よく母親や兄弟を誘って行っていました。家の中も、薄暗い場所が多く、正直にお伝えすれば、心地よく過ごせるところではありませんでした。

しかし、私はそんな中でも、その家の裏が一番苦手でした。

家の裏の納屋付近は、ジメジメしていて、竹林のせいなのか、昼間でも薄暗いところでした。一度だけ母親と一緒に行ったことがあるのですが、なぜか肌寒く感じるし、いきなりぞくっと背筋が凍るような感覚もあり、すぐに引き返したのを覚えています。

叔父夫婦からも、「裏は危ないけん近付かんとよ」と言われていました。そんなこともあり、叔父の家の裏には近付かないようにしていたのです。

そして、叔父の家は、全く霊感のない人でも絶対にスピリット(幽霊)がいるだろうと感じるほどの独特の空気感があります。

そして、今まで私は何度も叔父の家の夢を見ました。その夢のストーリーは毎回違うのですが、共通しているのは、たくさんの幽霊(スピリット)がいるところです。「ここにも、ここにも」と。夢の中の私は、スピリット(幽霊)の多さを感じているのです、怖い夢というわけではないのですが、「こんなに幽霊が家の中も周りも取り囲んでしまっているなんて・・・」というようなことを思う夢なのです。

叔父の家のある地域は、戦国時代に合戦が行われていた場所だったようで、今私が感じることでお伝えすれば、あまりいい土地のエネルギーではありません。

叔父の家から少し離れたところにも、夜中になると合戦が繰り広げられるとして、ずっと売りに出されている空き家があります。夜になると、甲冑をきたスピリットが至る所で合戦を繰り広げるというのです。

叔父の家は、代々農家でした。いつから農家だったのかは、今では定かではありません。にしろ、ずっと今の土地で農家として田畑を耕してきたようです。

そして、私は、それ以前から土地に残ってしまっていたスピリット(幽霊)達が、ちゃんと供養されておらず、後から土地にやってきた叔父の家に影響してしまっているように感じるのです。

合戦があった土地ですし、そういった多くの方が亡くなった土地には、その時の無念の思いやネガティブな感情が残ってしまっていたりします。そんなスピリット達が、叔父の家に集まっているように感じるのです。

もちろん、それだけで全てを結び付けるつもりはありません。

ただ、叔父の家について昔の話を聞いていくうちに、私はある共通点に気付くようになりました。

それは、この家では代々、水に関わる悲しい出来事が繰り返されていたことです。

怨念なのか

その影響は、わかる限りでは、私の父の曽祖父の代からからあったように思います。父の曽祖父が家長として暮らしていた時代は、日中戦争の時代です。その時代に叔父の家からも徴兵によって徴兵の年齢に当てはまる青年が戦争に送り出されました。

その青年の写真は、叔父の家の仏間に飾ってあります。軍服に身を包み、凛々しい表情でカメラを見つめる青年です。

その青年がまた家に戻ってくることはありませんでした。日中戦争では潜水艦は出撃していないのですが、訓練はしていたのでしょう。その潜水艦の訓練中に帰らぬ人となったのでした。

その時には多くの人たちが戦争で命を落としている時代です。なので、珍しいことではなかったとは思います。しかし、戦死ではなく事故で亡くなったのです。

その後、叔父や父の祖父の代は、今から100年ほど前です。その当時は子沢山が当たり前だったので、父の祖父の子供も多く、11人兄弟だったそう。となると、上は高校生から、下は乳幼児までいたようです。

下から数えて2人の幼い兄弟は、男の子と女の子でした。2人の弟妹は、上の小学生くらいの兄弟と少し歳が離れていて、まだ2、3歳ほどだったようです。そして数多くの兄弟の中で初めての女の子ということもあり、可愛がられていたようです。

その頃、その納屋の裏手は農業用の溜池になっていました。今では、埋め立てられ、田畑になっています。当時にはあったその池で上の兄弟たちはよく遊んでいたようです。

そして、その溜池には河童がいるという話があり、兄弟たちは気にしながらも遊んでいたそうです。

そんなある日、年長の兄弟たちは、一番下の妹弟たちをちゃんと見ておくように父親に言われたそうです。私の大叔父でこの話を語ってくれた方はその時小学生だったとのこと。兄たちが言われているのを横目に、溜池で遊んでいたそうです。

そして、大叔父が池に入って遊んでいた際に、何かが足を引っ張ったそうです。”河童だ!!!”とびっくりした大叔父は、慌てて池から上がり、一緒に遊んでいた他の兄弟と一緒に家に帰ったそうです。すると、幼い妹弟がいないことに気づきました。慌てて兄弟総出でいろんな場所を探して回ったそうです。

そしてその後、幼い妹弟が溜池の中で亡くなっているのが見つかりました。大叔父の年長の兄弟たちは、父親にとてつもなく怒られたそうです。

そして、「あの時、池の中で俺の足を掴んできたのは、妹弟だったんじゃないかと思う。助けて欲しくて。俺はそれに気づかんで振り払ってしまったもんね。すごく悔やまれるよ」と、いつかの正月の親戚の集まりでその大叔父さんが言っていたのを、私はどこかで覚えていました。

その後、叔父の家は、長男であった私の祖父が継いだのでした。

そして、更にそのスピリット(幽霊)たちの影響が増したことがあったようです。

それは、私がとっても苦手だったあの裏の蔵を建てたことです。その時に、実は無縁仏のお墓を壊して建てたそうなのです。その当時、特に供養したりすることなく壊して建てただけ。そのお墓のスピリット(幽霊)の怒りをますますかってしまったのではないかと思います。

その後、叔父の家では体調を崩したり、ガンになってしまう家族が多く出たそうです。しかし、そのまま月日は流れ、今の叔父や叔母、私の父がその家に生まれてきました。

偶然の事故なのか

その頃には、あの事故があった裏の溜池は埋め立てられていたそうです。

そして、実は私の父は3人兄弟ではなく4人兄弟でした。
私の父には姉と兄がいるのはお伝えしましたが、実はその姉と兄の間にもう一人女の子がいたのです。

昔は、よく庭に大きな瓶(かめ)が置いてありました。雨水を溜めたりしてそれを利用するために使われたりしていました。私の実家にも以前は大きな瓶が置いてあったのを覚えています。

そして、その私の父のもう一人の姉は、2歳くらいの時に、外で一人で遊んでいてその水瓶の中に誤って落ちてしまったのです。そしてそのまま亡くなってしまったのでした。

私の父曰く、その姉が生きていたら、自分は生まれなかっただろうとのことでした。姉が亡くなってしまったため、“もう一人子供が欲しい“と、父が生まれてきたようです。

そして、その流れは私たちの世代になっても終わりませんでした。

私の父の世代にも悲しい出来事があり、さらにその次の世代である私たちの代では、たつにいの事故が起こったのです。

こうして、次々と、水による不運の事故により家の子供たちが代々亡くなっていったのです。

たつにいの役割

しかし、私は、「今も怨念があるように感じますか?」と言われれば、もう大丈夫だと思っています。叔父の家はたつにいが唯一の後継者でした。私の父は、母が一人っ子だったこともあり苗字を変えてしまい、母の家に入りました。

なので、その叔父の姓を受け継ぐ人はもう誰も残っていないのです。その土地に元々いたスピリットの祟りのような怨念だったとすれば、それは、この家を絶やすことによって潰えたのではないかと思います。

正直なところ、ここまで読んでくださった方の中にも、「それはただの偶然ではないか」と思われる方もいると思います。

私自身も、これらの出来事を全て怨念のせいだと断言するつもりはありません。

ただ、スピリチュアルな学びを続けてきた今の私は、少し違った見方もできるのではないかと感じています。

それが、たつにいの役割についての考えです。

私は、この一連の流れを知った上で、たつにいが、先祖代々受け継いできていたカルマを解消してくれたのではないかと感じるようになりました。

カルマというのは(体験)という意味です。私たちは、輪廻転生する中で、魂としての成長をしています。その中での体験のことです。なので、大まかに言えば、ポジティブなカルマやネガティブなカルマがあります。

例えば、一つの生で憎しみあった敵同士の二人がいたとします。その二人は、生まれる前に憎しみとは何かという課題を体験して、その経験値を得るために、そういう経験をするよう設定して生まれてきます。

そして生まれた後にお互いにとてつもない憎悪を向け、殺し合いをして亡くなったとしましょう。そしてまた魂となった二人は、その経験によって魂の成長をなし得ます。しかしここで、物理次元にいた際に抱いていた、憎しみや憎悪というネガティブな感情をくっつけたままだったりするのです。

これは、純粋ピュアな魂にとっては重りになってしまい次の成長に向けての足枷になります。すると、バランスをとるために、その二人は次の生では夫婦となって生まれてきたりします。

お互いに協力したり愛を持って接することによって、お互いに持ってしまっているネガティブなカルマを解消して、お互いスッキリしましょうよということです。

そう言ったことが簡単に言えばカルマの解消と言われるものです。しかしそれは単純かと言えばそんなこともなく・・・。夫婦でお互いに「死ねばいいのに」といった感情が湧き上がったりするのは、根底に前世のカルマの影響があったりするのです。

そして、今世、そういった前世からのネガティブな感情を乗り越えて、晴れてその課題をクリアすれば、今世での目標は達成と言えるでしょう。そう言ったことを、私たち人間は、何百回、何千回も生まれ変わりながらやってきたのです。

たつにいの場合には、先祖代々引き継がれてきた、ネガティブな怨念のようなエネルギーを終わらせるという役割を持って生まれてきたのだと思います。

それがイコール死することとは私は思いませんが、先祖が残してしまったカルマの解消を担って生まれてくる魂も多くいます。

更に、私も含めてその家に生まれるということは、先祖から受け継がれているネガティブポジティブ含めた全てのカルマを、全て受け入れますよと同意して生まれてくるということです。

そういったことがある中で、たつにいはちゃんと自分の役割を生きている間に果たしたのではないかと思います。

寿命は何パターンか持ってくる人もいる中で、たつにいがそのタイミングで亡くなったのは、もしかしたら一番短命な寿命を選んだからかもしれません。しかし、結果的には本人が選んだことなのです。

もちろん、これは私自身が今感じていることであって、証明できることではありません。

ただ私は、たつにいの人生にも、そしてあの家にも、ちゃんと意味があったのではないかと思っています。

そんなふうに考えられるようになるまでには、私自身にも長い時間が必要でした。

それから

今は、意識を向ければちゃんとたつにいに繋がっていることが感じられます。

それは、スピリチュアルな学びを経ていろんなことに気づき、魂としても成長できているからだと思います。そして、いつでもたつにいは見守ってくれていますし、共にあることも知っています。

たつにいのお父さんお母さんである叔父さん夫婦が前を向くのには本当に長い時間が必要でした。

いまだに、たつにいの部屋は時が止まったままです。締め切られて誰も出入りしていないですが、そこを片付けることは、今の叔父夫婦にはまだできないと思います。私の体感の感情とは比べ物にならない喪失感や絶望感だったと思います。

それでも、様々な感情に向き合って、今は夫婦で旅行に出かけたりと、二人だけの時間を楽しむこともできているようです。そして、たつにいのことも、涙することなく、こうだったああだったと話してくれるようになりました。

今では、たつにいのおかげでもあり、土地の浄化が少しずつですが、進んだことも一因して今では叔父の家の周りは様変わりしつつあります。

様々なプロセスや、エネルギー上のクリアリングが必要でしたが、今では、あの行きたくなかった叔父の家の裏も様変わりしました。淀んでいた重い雰囲気は綺麗さっぱり無くなり、風が吹き抜けていくようなエネルギーに変わっています。

叔父の家は相変わらずそこにあります。いまだにまだ多くのスピリット(幽霊)がいるようです。正直まだ浄化が必要なことは否めません。私も遠隔で気が向いた時に浄化に取り組んでいます。なので、以前に比べれば、スピリット(幽霊)の数も少なくなっているのを感じますし、家の外は少しずつ変わってきています。

家本体は、痛みが激しかった部分を改修して綺麗にしている最中です。叔父夫婦曰く、残された人生を少しでも心地よく生きていきたいからということでした。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回は、怨念か偶然か、結果として途絶えてしまった叔父の家の話を書かせていただきました。偶然だと思う方もいらっしゃると思いますし、私が上記で綴ったように、怨念のようなエネルギーが影響していると感じた方もいらっしゃるかもしれません。どちらにしろ、この記事を読んで感じたことがあればそれがあなたにとっての真実ですので、その見解で間違いはないと思います。

付随して、私は、日々家族やご先祖様にも感謝をしています。それは、どんなカルマであったとしても昇華させてしまうエネルギーです。根強く凝り固まってしまっているカルマでも、溶かしていくエネルギーである【愛】と【感謝】は、宇宙最強のバイブレーションです。今生きている方でも、亡くなってしまっている方でも、意図して感謝すればエネルギーレベルでちゃんと相手に届きます。

なので、もし自分で認識できないレベルでも、自分の家系やご先祖から受け継いだカルマがあると感じる方は、ぜひ毎日自分自身を含め、家族や
ご先祖様に、感謝や愛のエネルギーを送ってみていただければと思います。

送り方がわからないと思われるかもしれませんが、「〇〇に愛と感謝を贈る」と意図すれば、それだけでエネルギーは動くので大丈夫です。ただ意図するだけなので簡単ですよね。やってみようかなと思われる方はぜひ実践していただければと思います。

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最後まで読んでくださってありがとうございました。この記事を読んで下さった方の幸せを心よりお祈りしております。

※こちらの記事の画像は全てイメージです。

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